わたしが炭焼きに魅力を感じたひとつに「根元から枝先まで、さらには煙まで利用できる」ということでした。
林業の現場では太くてまっすぐな部分以外は山に捨てられてしまいます。
米飯製炭所は根元の太い部分から親指ほどの枝まで山からおろしています。
太くて曲がってる部分は薪にしたり、まっすぐな部分は家具材やクラフト材に。
細い部分はシイタケのホダ木にします。親指ほどの枝も炭窯に詰め込んで炭にします。
焼いた際に出る煙は集めて木酢液にします。
まさに捨てるところがないのです。
そして山に残った切株からは春になると次世代の芽が出てくるのです。
この完全持続可能なシステムを先人たちはずっと受け継いできたのです。
石油エネルギーは確かに便利です。
ですが、いつなくなるかわからなくて遠い海の向こうからやってくる石油エネルギーがなくても生きていくだけの手段は持っているべきだと思います。
そして何よりもこの身近な森から持続可能な資源があることを忘れてしまってはいけないと思います。
次世代の人々へなにをつないでいくか。
その責任から目をつむり生きていくことは何よりも卑怯なことだと私はおもうのです。
誰一人としてあの少女の "How dare you!” の言葉から耳をそらすことはできないのです。
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