photo by Eri Shimizu
わたしが伐採して運んだ丸太の山。
こうして見ると感慨深いものがあります。
抱えきれないほど太いものもあれば親指ほどの細い枝も積まれている丸太。
これってなかなか見られない光景だと思うのです。
そして旭川周辺の里山をよく現しているなとも思うのです。
林業の現場では絶対に回収されることの無い細い枝と炭やきさんが使うことのないような太い丸太が一緒になって積まれています。
それはここらの里山が長いこと放置されてしまって木が太くなりすぎているからなのです。
本来、里山というのは人間が利用しやすいように積極的に手を入れ続けてきた山のことを言います。
なので本来その地で育つであろう森の植生とは異なった森であります。
わかりやすい例でいうと関東地方などに見られる雑木林は放っておくと常緑の照葉樹林になるところを田畑の肥料として使いやすい落葉樹林の森になっています。
それは照葉樹が生えてきたら伐ってしまうことで遷移を止めているからです。
では、北海道ではどうか?
北海道では常緑照葉樹はもともと生えてはこないので天然林と里山の樹種は基本的には変わりません。
歴史の浅い北海道ではなおのこと里山と天然林の違いがわかりにくくなっていると言えます。
なので「北海道には里山はないんだ」と言う人もいれば単に里山を物理的に里から近い山という認識で「里山を守るために木を伐らない」という人も出てくるのです。
ですが、北海道にも里山はあるのです。
わたしが炭やきを学んだ地域(道南、道東)には炭やきに適した太さのミズナラがびっしり生えているような山がたくさんありました。
当時のわたしは「こんな土地だから炭やきが残ったんだな」と思っていました。
だから旭川の山をみても「炭やきに適した山がないから炭やきが廃れたのだ」と思っていました。
ですが最近はこう思うのです。
「炭やきが続いてきたから炭やきに適した山がある」
太くなりすぎた木は運び出すのも、割るのも大変です。
家具材やウィスキー樽の材は高く売れますがそこまでは太くない。
太かったとしても長い丸太で運び出すにはとても大変で重機が必要になります。
だとすると太くなる前に伐ってしまうことで使いやすい森が維持されるのです。
そして伐った後はミズナラのように炭にしても薪にしても高カロリーで燃えてくれる有効樹種だけを残すようにしていくことでミズナラばかりの森が作られてきたのです。
もちろん気候風土の影響もあるかとは思いますが旭川でもそうした薪炭林もできなくはないと考えています。
炭やきが里山を維持していたわけです。
放置された里山は薪や炭にするには太すぎるし、燃やしても燃焼効率の低い樹種も多い山となりました。
これから里山をつくっていくことができたとしてもそれには数十年かかるうえに、今ある資源をどう利用していくかを考えなければなりません。
問題は山積みですが、こんな里山だからこそできることもあるのではないかとこの丸太の山を見て思います。
その一つの答えが「ひとつの木プロジェクト」なんではないでしょうか。
すこしずつでも前に進んでいこうと思います。
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